最近の傾向としまして、飲食店でメニューを決めるのが億劫なのです。なんと言いますか、たくさんの候補の中から今欲しい一品を決めるということが苦痛なのですよ。
決して食欲がない訳ではなく、またどれもこれも食べたいという訳でもないのです。で、必然的に消去法でメニューを決めるという体たらく。麺類はいやだ、とか、チャーハンの気分じゃない、だとか、ソース味はやめておこうとか。こういう後ろ向きな人生はいかんですよ。
そしてその弊害は「決めるのに時間がかかる」という最悪のシナリオを用意しているのです。あのね、飯喰うのにぐずぐず決められない人間は駄目人間と定義しているのです。居酒屋などでも、注文を聞かれたら速攻で2・3品決めてしまって、その後で追加するという男らしい攻勢をかけてきたのです。
その私が、たかが弁当の種類を決めるのに30秒以上もかかるとは何事か、と。全く持って不徳の致すところです。そして、それは飲食店でも起こっているのですよ。本当に反省しなければいけません。頭を抱えるほどに、深い反省を。
まずね、座った瞬間に飲み物は決まらねばならないのです。メニューなど必要なし。焼酎か生ビールか瓶ビールかマッコリか紹興酒か眞露かなどを、瞬時に今自分が本当に欲しいモノを、魂から絞り出すように注文するのです。
ところがそれが出来ない。魂がしぼんでる。しおれた心からは叫びは聞こえないのです。で、マッコリにするかビールにするかで「うっ」と詰まってしまうのです。もう、酒呑みとしての私は終わってしまったのかも知れません。いや、終わったのでしょう。
思えば、昔は注文が早かった。暖簾をくぐった瞬間に「おばちゃんきつねうどん」と注文して、座った瞬間に箸を割って、その「パキッ」という音と丼がおかれる音がシンクロして、しかもおばちゃんはダシに指つっこんでるし、そのくらいのヌルさでないと一気に食べられないから。で、アッという間に食べ終わってテーブルにお金をおいて「ここおいとくよ」と声をかけて店を出る。この間1分なんていうのもザラじゃなかったのに…。ってこれは文珍の落語のつかみ。
まぁそのくらい早かったのに。焼き鳥なんて、店に入って座った瞬間に「生ビールと、鶏はメニューの上の段全部焼いて」と、アッという間の注文だったというのに…。あれ?全部?
そのころからメニューを決めていませんでした
ああ、思えば昔から選ぶことが苦手だったようです